ニコ日記

簡潔に 書いたつもりが 長々と

死と横たわる

少し整理がついてきたので、ここにも区切りとして書いておこうと思う。


先週、仲の良かった後輩が自殺した。
はじめに連絡を受けたときは何が何だか分からなくて、彼のアパートに行き、警察から事情聴取を受け、御家族と面会しても全然実感が出て来なかったのだが、最後に御家族と一緒にその死を目の当たりにしたときには、その厳然たる事実を体を羽交い絞めにされるように無理矢理に思い知らされた感じがした。


彼とは普段からよく酒を飲み、旅行にも行ったりしたが、それ以上に研究や勉強で一緒に頑張ってきた同士という思いが強い。
彼がゼミ発表のときは1週間前から2人で勉強したし、彼が専攻内発表のときは発表資料を微に入り細を穿って修正したりした。
私自身先輩という立場でいろいろ教えることも多かったが、逆に、彼の明るい性格は研究者に必要な人間としての資質というかけがえのないものを私に教えてくれていたと思う。


そんな彼がなぜ死を選んだのかという疑問は当然最初に出てくるが、警察の方が言うには、今回のような自殺はうつ病による病死に近いものだ、ということらしい。
それを聞いて、単純に納得することはできないが、医学的見地から導かれる一般的傾向ということで理解しようと思う。
そこで慄然とするのは、私が日ごろ彼と接していてその兆候に全く気付いていなかったということだ。
むしろ最近は研究も私生活もうまくいっているとばかり思っていた。実際、彼は2週間前のゼミ発表の内容も良く先生からもべた褒めに近い状態だったし、研究成果も目に見えて上がっていたところだった。
しかし、精神医学を学ぶ彼の友人によると、それが危なかったらしい。
彼は今年前半、就職で何度か失敗していた。このときは誰の目にも明らかに深く落ち込んでいて、おそらくこれがきっかけでうつ病になったのだろうと警察の人も言っていた。
その後、何とか就職先は決まり、研究も軌道に乗ってきたところで彼もだいぶ元気が出てきたところで、彼は逝った。
うつが深刻なフェーズでは死ぬことすら疎んじられるほど無気力になるらしいが、これが回復フェーズに入ったとき、ふとしたきっかけで自殺する例が多いという。


それを聞いたところで、たとえ理解はできても、納得できるときはいつになっても来ない気がする。
はっきりと分かっている事実は、彼が自ら死んだということと私を含め周りの人間がそれを止められなかったということ。
私自身そのことで自分を責める気持ちは拭い去れないし、指導教官である先生や彼と親しかった友人たちも同じ気持ちだろう。


そして、もう一つは、死がこんなにも私の近くに横たわっているということである。
研究室という環境に居る以上当然一定のストレスがあることはわかっていたし、実際私も人間関係や仕事の遅延で悩むことが多いが、そういったことが死とリンクするんだ、というイメージが初めて湧いてきたのだ。
何かのきっかけで、私や、研究室の他のメンバーが彼と同じように死を選ぶ瞬間が訪れるかもしれないという虞が心の中に生まれて離れなくなってしまった。
身体的にも眠りが浅くなったり、手足に蕁麻疹が出たりと明らかに変調をきたしているのだが、このイメージに心が支配されることだけには参っている。
しかし、こればかりは時間が何とかしてくれるのを待つだけだと思う。